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大阪地方裁判所 平成3年(行ウ)55号 判決

原告

河野武子こと

河武子

右訴訟代理人弁護士

本渡諒一

裵薫

右訴訟復代理人弁護士

鎌田邦彦

被告

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

田中素子

外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

原告が日本国籍を有することを確認する。

第二事案の概要

一当事者間に争いのない事実

1  原告は、昭和二三年五月五日、鹿児島市において、父を韓国人河錫煥(ただし、当時は朝鮮の独立前で、同人は未だ日本国籍を有していた。)、母を日本人鶴田冨美子として出生した。河錫煥は、昭和五三年一一月一四日死亡した。

2  河錫煥と鶴田冨美子との間の婚姻の届出(以下「本件婚姻の届出」という。)が、昭和二三年六月一七日鹿児島市長宛になされて、受理されている。また、原告について、氏名を河武子、父を河錫煥、母を鶴田冨美子、本籍を朝鮮慶尚北道盈徳郡烏保面老勿洞として、出生の届出(以下「本件出生の届出」という。)が、同日同市長宛になされて、受理されている。なお、原告について、内地戸籍への入籍手続はなされていない。

3  鶴田冨美子は、平成元年九月、検察官を被告として、大阪地方裁判所に、本件婚姻の届出は全く自己の意思に基づかずになされたものであるとして、河錫煥との婚姻が無効であることの確認を求めて訴えを提起し(同裁判所同年(タ)第二八〇号事件)、同裁判所は、同年一二月一日、本件婚姻の届出によってされた鶴田冨美子と河錫煥との間の婚姻が無効であることを確認する旨の判決を行い、右判決は、同月一九日確定した。

4  従って、原告は、日本人である母鶴田冨美子の非嫡出子として出生したのであるから、出生時点では、当時施行されていた国籍法(明治三二年三月一六日法律第六六号、以下「旧国籍法」という。)三条により、日本国籍を取得したことになる。

二争点

原告は、本件出生の届出がなされたことによって父河錫煥に認知され、そのため、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日発効のいわゆるサンフランシスコ条約、以下「平和条約」という。)の発効とともに、日本国籍を喪失して、朝鮮国籍を取得したか否か。

三争点に関する当事者の主張

1  被告

(一) 原告の父河錫煥による原告の認知

本件出生の届出は、原告の父河錫煥によってなされたものである、従って、本件出生の届出には認知届の効力があり、原告は同人によって認知されたものというべきである。

(二) 平和条約による朝鮮人の日本国籍喪失

(1) 平和条約二条a項は「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する。」と規定している。これによって、日本が朝鮮に対する領土主権を放棄したことに伴い、日本は、朝鮮に属すべき人に対する主権(対人主権)をも放棄したことになる。従って、これは、朝鮮に属すべき人は朝鮮の国籍をもち、朝鮮の主権に服することを承認して、これらの人について日本の国籍を喪失させることを意味するから、朝鮮に属すべき人は、平和条約の発効とともに日本国籍を喪失したことになる。

(2) 日韓併合前に、韓国には民籍法があって、韓国国籍をもった人は民籍に登載されていたが、日韓併合後には、民籍法に代わって朝鮮戸籍令(大正一一年一二月一八日朝鮮総督府令第一五四号)が施行され、従前韓国の民籍に登載されていた人は同令の適用を受けて、朝鮮戸籍に登載されることになった。他方、元来の日本人は、戸籍法(大正三年三月三一日法律第二六号、以下「旧戸籍法」という。)の適用を受けて、内地戸籍に登載されていた。このように、内地人と朝鮮人とはその法的地位が厳格に区別されていたこと、及び、日本の侵略主義の結果を是正して侵略前の状態に戻し、朝鮮の独立によって再び朝鮮という民族国家を樹立するという平和条約の趣旨からすると、平和条約によって日本の国籍を喪失する「朝鮮に属すべき人」という者の範囲は、民族を基準として決定するのが妥当であり、民族としての朝鮮人、即ち、朝鮮人としての法的地位をもった人であって、これは朝鮮戸籍令の適用を受けて朝鮮戸籍に登載された人と解すべきである。

(3) ところで、このように内地人と朝鮮人とはその法的地位が区別されていたので、内地人と朝鮮人との間に身分行為があったときの、内地戸籍と朝鮮戸籍との間の入除籍に関する連絡規定として、共通法三条一項が設けられていて、これによると、「一の地域の法令に依りその地域の家に入る者は他の地域の家を去る。」と規定されていた。元来日本人であった者でも、右の規定に従って、朝鮮人との身分行為により身分籍に変動が生じると、内地から朝鮮に籍が異動し、朝鮮戸籍に入籍して内地戸籍から除籍されたが、このような者も、法律上は元来の朝鮮人と同視されたのである、従って、このように、元来の日本人であっても、平和条約発効前に朝鮮人との身分行為により、内地戸籍から除籍され朝鮮戸籍に入籍すべき事由の生じた者もまた、平和条約の発効とともに日本国籍を喪失すると解するのが相当である。

(4) 日本国憲法及び改正民法(昭和二二年法律第二二二号、以下「改正民法」という。)の施行により家制度は廃止されたが、共通法三条一項は内地戸籍と朝鮮戸籍との間の入除籍の原則を定めたものであり、家制度の廃止によって右入除籍の原則が消滅したと解することはできないから、共通法三条一項は、家制度の廃止によって失効したとはえない。

また、共通法三条一項により内地戸籍から除籍され朝鮮戸籍に入籍すべき事由が生じた以上、たとえ現実に朝鮮戸籍に登載されていなくても、その者が朝鮮人としての法的地位をもつことに変わりはない。

(三) 原告の朝鮮国籍の喪失

(1) 本件の場合、まず内地の法令上の観点からみると、本件出生の届出がなされた当時、内地の法令上は、家制度が廃止され、父の認知があった場合当然に子が父の戸籍に入る旨の規定はなかった。しかし、当時内地と朝鮮とは適用される法律を異にする異法地域の関係にあり、内地人と朝鮮人とは、その法的地位が厳格に区別されていたのであるから、日本人と外国人に類似した関係にあった。従って、内地人ないし朝鮮人たる身分の得喪は、旧国籍法の規定に準じた慣習ないし条理によって決せられるべきである。そして、旧国籍法二三条は、日本人たる子が外国人に認知されたことにより外国の国籍を取得したときは日本の国籍を失う旨規定していた。この規定は、国籍法における父系優先血統主義と家族法における父子同一家籍主義に基づくものであるから、内地人たる子が朝鮮人の父に認知された場合の籍の異動に関しても、これと別異に取り扱う理由はなく、右規定を類推適用ないし準用し、もしくは右規定の精神を基調とする条理に則って考えるべきである。そして、朝鮮地域の国籍法においても、朝鮮人を父として出生した者は、朝鮮国籍を取得するとされていたのであるから、朝鮮人たる父に認知された内地人たる子は、内地籍を喪失し朝鮮籍を取得するということができる。

(2) 他方、これを朝鮮地域の法令からみると、当時の朝鮮の慣習法では、朝鮮人たる父に認知された子は、戸主の同意等何らの手続を要せず当然に父の家に入るとされていたのである。

(3) 従って、原告は、河錫煥に認知されたことにより、共通法三条一項によって朝鮮戸籍に入るべき事由が生じたため、朝鮮人たる身分を取得したものであるから、平和条約の発効とともに日本国籍を喪失したことは明らかである。

2  原告

(一) 被告の主張(一)は争う。本件出生の届出を行った者が誰であるかは不明である。

(二) 被告の主張(二)、(三)は争う。共通法三条一項は、日本国憲法、日本国憲法の施行に伴う民法の応急措置に関する法律(昭和二二年法律第七四号)ないし改正民法等の施行により家の制度が廃止されたことによって、その前提を失い失効したと解すべきである。

また、たとえ共通法三条一項が失効していないとしても、朝鮮人としての法的地位をもった人というのは、朝鮮戸籍令の適用を受け現実に朝鮮戸籍に登載された人をいうと解すべきである。しかし、終戦後においては、外地に送付又は通知すべき書類は発送を留保され、昭和二三年一月一日の戸籍法(昭和二二年一二月二二日法律第二二四号)施行後には、外地に対する入籍通知の制度は存在しないのであって、原告の出生当時、内地から朝鮮への送籍の手続は行われていなかったのである。現に、原告についても朝鮮戸籍への登載はなされていない。従って、原告は、右条項によっても日本国籍を喪失していない。

第三争点に対する判断

一原告の父河錫煥による原告の認知について

(一)  〈書証番号略〉によれば、本件婚姻の届出と本件出生の届出は、いずれも昭和二三年六月一七日に、鹿児島市長宛になされていて、両届出の戸籍届受附帳の受附番号は連続している(本件婚姻の届出に次いで本件出生の届出がなされている。)こと、本件出生の届出において届け出られた原告の姓及び本籍地の記載はいずれも、本件婚姻の届出において届け出られた河錫煥のそれと同一であること、婚姻の届出は婚姻をしようとする者、出生の届出は原則として父又は母がそれぞれしなければならないが(戸籍法七四条、五二条)、鶴田冨美子は右各届出を実際に行ってはいないこと、同女は、原告が出生した当時、河錫煥から原告の出生の届出をするのに必要であるといわれて自己の戸籍抄本を取り、これを同人に渡したことが認められる。以上の認定事実に徴すれば、本件出生の届出は、河錫煥によってなされたと推認することができる。

(二)  そうすると、原告の父河錫煥から同人を父としてなされた本件出生の届出には、同人が、戸籍事務管掌者に対し、子の出生を申告することの他に、出生した子が自己の子であることを父として承認し、その旨申告する意思の表示が含まれているから、それが戸籍事務管掌者によって受理された以上は、これに認知届の効力が認めれる(最高裁昭和五一年(オ)第三六一号、同五三年二月二四日第二小法廷判決。なお、本件出生の届出がなされた当時、内地と朝鮮とは、適用される法律を異にする異法地域の関係にあったものであるから、本件出生の届出に認知届の効力があるか否かを論ずるに当たっては、これを外国の関係に準じて取り扱う必要があると考えるとしても、出生届に認知届の効力が認められるか否かは、法律行為の方式の問題であり、法例八条二項によれば、行為地法によった方式は有効とされているのであるから、やはり、本件出生の届出は、認知届としての効力を有するといえる。)。

(三)  従って、原告は、本件出生の届出によって、父河錫煥に認知されたものである。

二平和条約による原告の日本国籍の喪失について

(一) 平和条約で、日本国が、朝鮮の独立を承認して、朝鮮に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄したことに伴い(同条約二条a項)、日本は朝鮮に属すべき人に対する主権(対人主権)をも放棄したこととなり、これによって、朝鮮に属すべき人、即ち、それまで日本の国内法上朝鮮人としての法的地位をもっていた人は、朝鮮国籍を取得し、日本国籍を喪失したものと解せられる。朝鮮人としての法的地位をもっていた人というのは、朝鮮戸籍令の適用を受け、朝鮮戸籍に登載されるべき地位にあった人で、これには、元来の朝鮮人(日韓併合前には韓国の民籍に登載され、その後は朝鮮戸籍令に登載されることになった生来の朝鮮人)のみならず、元来日本人で旧戸籍法の適用を受け、内地戸籍に登載されていても、朝鮮人との身分行為によって朝鮮戸籍に登載されるべきこととなった人も含まれる(最高裁昭和三〇年(オ)第八九〇号、同三六年四月五日大法廷判決)。そして、現実に朝鮮戸籍に登載されなくとも、朝鮮人との身分行為によって内地戸籍から除籍され、朝鮮戸籍に入籍すべき事由の生じた人は、やはり朝鮮人としての法的地位を取得する(最高裁昭和三三年(あ)第二一〇九号、同三七年一二月五日大法廷判決)。

(二)  また、内地戸籍と朝鮮戸籍との間の入除籍の原則を定めた連絡規定として、共通法三条が設けられていて、これによれば、「一の地域の法令に依りその地域の家に入る者は、他の地域の家を去る(同条一項)。一の地域の法令に依り家を去ることを得ざる者は他の地域の家に入ることを得ず(同条二項)。」とされていた。従って、元来の日本人と朝鮮人との間に身分行為があった場合、いずれの戸籍に入るかは、右規定によって決せられることになる。本件出生の届出がなされた当時には、日本国憲法や改正民法等の施行により、内地では既に家制度が廃止されていたのであるが、当時でも、内地戸籍と朝鮮戸籍が分かれていて、内地人と朝鮮人の法的地位が厳然と区別されていた以上、両戸籍間の入除籍の原則を定めた共通法の右条項は失効せず、そのまま効力を有していたというべきである(前掲最高裁昭和三七年一二月五日大法廷判決、最高裁昭和三六年(オ)第一三九〇号、同三八年四月五日第二小法廷判決)。ただし、内地の法令上の観点から右各項の要件の適用を考えるに当たっては、既に家制度が廃止されている以上、入家、去家ということを基準として要件の該当性を判断することができないのは当然である。従って、この場合は、内地と朝鮮とが異法地域の関係にあり、外国の関係に類似していたこと等にも鑑み、国籍法や戸籍法等の規定に準ずる条理、慣習に照らして、要件の該当性を決すべきである。

(三)  これを本件についてみると、〈書証番号略〉によれば、本件出生の届出がなされた当時の朝鮮の法令では、朝鮮人の父がその子を認知した場合、戸主の同意等格別の手続を要しないで、直ちに子は父の家に入籍するという慣習法が存在していたことが認められる(その後成立した大韓民国民法(一九五八年二月二二日法律第四七一号)によっても、従来の朝鮮の慣習を踏襲して家制度が残され、朝鮮人男子が未就籍の庶子を認知したときには、父の家に入籍するとされている(同法七六八条、七七九条、七八二条一項)。)。従って、内地人たる子が、朝鮮人の父に認知された場合、その子については、共通法三条一項の「一の地域(朝鮮)の法令に依りその地域の家に入る者」という要件が満たされることになる。

他方、当時の内地の法令においては、父が子を認知した場合、民法及び戸籍法によると、子は当然に父の戸籍に入籍することとはされていなかったが、旧国籍法二三条では、日本人たる子が認知に因って外国の国籍を取得したときは日本の国籍を失う旨規定されていた。また、〈書証番号略〉によれば、当時の朝鮮地域の法令(国籍に関する臨時条例(一九四八年五月一一日南朝鮮過渡政府法一一号))上、朝鮮人を父として出生した者は、朝鮮の国籍を取得するとされていたことが認められる(その後成立した大韓民国国籍法(一九四八年一二月二〇日法律第一六号)によっても、三条二号において、外国人で大韓民国国民である父が認知した者は、大韓民国の国籍を取得する旨規定されている。)。そして、当時内地と朝鮮とは異法地域の関係にあり、内地人と朝鮮人とは、外国人と類似の関係にあったもので、内地人たる子が朝鮮人の父に認知されたときの内地と朝鮮との間の戸籍の異動も、日本人たる子が外国人の父に認知されたときの国籍の異動と別異に解すべき特段の理由はなく、旧国籍法の右規定と同様の条理、原則によって規律されるとすることには、十分な合理性があると考えられる。従って、内地の法令上の観点からみても、日本人たる子が朝鮮人の父に認知された場合、内地戸籍から除籍されて朝鮮戸籍に入籍すると解するのに何ら支障はないから、その子は、共通法三条一項の「一の地域(内地)の法令に依り家を去ることを得ざる者」に当たらないことは明らかである。

三結論

よって、原告は、本件出生の届出により朝鮮人の父河錫煥に認知された結果、共通法三条によって、朝鮮戸籍に入籍すべきこととなり、朝鮮人としての法的地位を取得したというべきであるから、平和条約の発効に伴って日本国籍を喪失したものである。従って、原告の請求は、理由がない。

(裁判長裁判官松尾政行 裁判官山垣清正 裁判官明石万起子)

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